人を傷つけないように、と遠回しに言ったり
時間をあけたり
はぐらかしたり
することって 思いやりかもしれないけど、
人を傷つけたくないのではなくて
実は、自分が傷つきたくないだけなんだ
という無意識が働いていることに気づく
「人のために」
とか言いながら
実は、自分を都合よく守ってただけ
人のためにやっていることで、尽くしていることで
「ありがとうと言われたい」
「自分という存在を認めてもらいたい」
「頑張っているね、と褒められたい」
「人から必要とされたい」
自分ってムシがいいよなー
都合よくしてたなー
と凹むこともあるけど
それに気づいたんだから
傷つきたくなかったね
嫌われたくなかったね
怖かったね
心配で不安だったよね
と自分をねぎらってあげよぉっと。
今から考えると
あいまいにしていることも、
まわりまわってどこかで
向き合う時が来る。
その時に向き合うだけの準備ができてなくて
なんでこんなことが起こるのか?の意味がわからなくて
あいまいにしたとしても大丈夫。
なぜなら、いつか受け容れることができる日が来るから
それでも不安なら、心配なら、
「わからない」
と声を出すことからはじめてみてもいい。
そう、だって自分は一人じゃないから。
そんなとき、今あるつながりを再確認できることにもつながるから
誰でもできなかったことが、急にできるようになる人はいない
種をまいて
芽が出て
少しずつツルを伸ばし
水をあげ
花が咲いて
実がなる
収穫するまで一定の時間が必要
いわゆる
農場の法則
と呼ばれること
これが自然で、当たり前のこと。
よくよく考えてみると
当たり前
だと思っていることに、自然な法則があることに気づく。
たとえば、
当たり前だと思っていることの中に
太陽が上って沈む
朝が来て、夜になって、また朝がくる
四季がある
潮の満ち引き
これも
地球の自転と公転が当たり前にあって
地球と太陽の関係が一定の法則に従って繰り返されていることで
ごく自然に
当たり前に
感じることができる
その法則に沿って生きていると
これまた
自然に
当たり前に
日々を過ごせる。
ということは、
不自然なことや、違和感を感じること
うまくいかないこと
トラブル
問題
は、
自然な法則に従っていないときに感じたり起こったりすることで、
「軌道修正しなさいよー」
と教えてくれてるものかもしれない
どうすれば、相手を大切にできるのか?
それは、自然の法則にしたがって、少しずつ自分自身を大切にすること。