雪山で遭難したときのカップラーメン
海外旅行から帰ってきた後の味噌汁
炎天下で野球した時の一杯の水
富士山頂から見る日の出
そこで吸う空気は、想像しただけで格別♪
でも、
カップラーメンも
味噌汁も
水も
空気も
普段は、身の回りに当たり前にあって、有り難いなー
たまらんなー格別やなー、とはなりなくい。
この前、お年寄りの方と話していて
「はじめて食べた時のチョコレートの味は今でも忘れられない」
と言っていた。
もしかしたら、
カップラーメンも
味噌汁も
水も
空気も
はじめて口にしたときには感動があったのかもしれない。
ただそれを、忘れているだけ
何回も経験することで、感動が薄れていっているだけなのかもしれない。
人は、過去に学んだり経験したことを基に、新しいことを判断する
言い換えると
新しい知識(価値観や経験)を獲得するには、昔の古い知識(価値観や経験)が基礎になる
はいはいが出来て、歩けるようになる
コマつき自転車が乗れて、普通に自転車が乗れる
手づかみの次にスプーンで食べられるようになって、はしが使える
とすると、
今、【しんどい】と判断していることって、
過去の基準をもとにした前提で決めている
ことになる。
【今そう思っている現実】は、なかなか変えることが難しい。
基準や前提という色メガネがすであり、
その色メガネを通して見ることが自然になっているから、
そこにメガネがあることに気づかない
「当たり前」になっているから。
でも
そもそもメガネは悪いものではない側面もある。
メガネがあるおかげで
夜道に不審な人がいると怖いと感じられる
大声で怒っている人には近づかないでおこうとする
など、自分を守ってくれることにもつながるから
だからこそ、
自然にメガネが機能してくれている
=そのメガネをかけ変えれば、見える世界が違ってくる
ということにつながる。
「当たり前」
のメガネを簡単につけかえられるのは
「有り難い」
と感謝すること、これがきっかけになるかもしれない。
そういえば、うちの長男は3歳くらいの時に、
子宮の中の記憶があった。
でも今は…。
え!?そんなこと言ってたっけ?
と完全に忘れている(笑)
新しいことができるようになって
成長して
進化できる
人間のスゴい彼女があるけど、
忘れる
ことがあるのも事実。
それは、
【思い出す】作業で、思い込みや勘違いに気づいて、
感動を2度味わう演出なのかな(笑)とも感じる
そしてさらに【目の前がしんどい】って
どこかで
無意識で
自分のことを責めてない?
一定以上に責めすぎてない?
それが、体の反応として出ていない?
もしそうだとしたら、
その事に気づくことが第一。
自分を振り返り、
それまでは、
自分にムチ打って
しないといけないこと
やるべきこと
当たり前にこなすこと
らしくあること
○○としての役割を果たすこと
これらを毎日意識してきた
しんどくても、
乗り越えるものだし、
乗り越えないといけないと思ってきた
小さい頃から言われ続けてきたから
意識し続けてきたから
男の子として
長男として
キャプテンとして
専門職として
まとめ役とし
前向きでないといけないし
ポジティブでないといけないし
泣き言も言ってはいけない
ないない尽くしで、
そうとう否定感強くて
そうとう凹みクセあるなぁ(笑)
今は懐かしく笑って振りかえることができる
結果や成果を見る
回りと比較してできてないことだらけ
ある時、
「自分にあるものを見てあげないと、自分が、かわいそうやで。」
とアドバイスしてもらった。
自分をほめることができなくても、
やろうと思って
やろうと感じて
やろうと考えて
やろうと決めて
その自分をねぎらってあげて
気持ちや想いがあることを確認することって
自分をダメ出しして進んでいくのではなく
自分のできていることを一つずつ確認していく作業
しんどくなる
ことは、
現状で満足せず
向上心がある
ということ
自分にやさしく♪