人間の究極の欲求は、

人から必要とされること

人にほめられること

人の役に立つこと

人から愛されること 

と言っている本に出会った。

なるほど。

誰もが持ってる欲求だと思う。

では、どうすればこれらの欲求を満たせるのか?

ここにある「欲求」には、全て自分以外の「他人」が介在する

自分と相手がいて、

その間でなされる行為のなかで満たし、満たされの循環が起こることを望んでいるんだろう

そんなこと言ったって、自分は満たしてもらっていない

何ももらっていない

自分は誰の役に立ってるんだろう?

と思って過ごしていた。

その時点で

自分がここに存在していることについて、

受け容れることができていなかったのかもしれない

自分が今ここに存在しているだけで、誰かの役に立っている

そう感じられたら?

どんなに楽で安心出来ることだろう?

人間の究極の欲求

を支えているのは、「安心感」で、

ここにいてもいい

という許可をすることができたら、どんなに楽になるだろう

その安心感は、自分に対してだけでなく、もちろん相手にもあって、

自分の安心が、相手にも伝わるもの

どうしても好きになれないAくん(;´д`)

嫌味なことことばかり言う

八方美人

自慢ばっかりする

出来ていないことを隠す

都合のいいやつ

すぐ怒る

機嫌によって態度がバラバラ

その他もろもろ…と、仮にそういう人がいたとして、

第3者に、相談を持ちかけた場合、

「その人を好きになりましょう♪」

「いいところを探しましょう♪」

と言われても

「絶対にムリ(((^^;)」

となってしまいそう…

これを違う視点から解説すると、

自分がその人に対して

「この人はこういう人!」

というレッテルを貼っていて

「変わるわけがない」

と決めつけてしまっていることがわかる。

でも、ある日

何かのトラブルや事件によって

その人の新たな一面を見ることになり

見方が180°転換することだってある

可能性はある

「勘違いだったんだ」

「思い込みだったんだ」

と自分が真逆の感情を抱き、それをきっかけに親友になることだってあるかもしれない

そう考えると、自分が自分に対して

「自信がない」

「能力がない」

「○○できない」

「ないないないない…」

と思っていることだって

いつか、何かのきっかけで衝撃が走るように

「勘違いだったんだ」

「思い込んでただけだったんだ」

と思えることだってあるかもしれない

いやいや、可能性は十分にある

今はまだムリで、ダメだと思っていてもいい

「今はまだ」できていないだけだから。

可能性はあるから。

その可能性をふくらましていく方法に目を向けたい♪

そうすると、人に必要とされたり、感謝されたりし始めるループに入ることがある

やはり、人間の究極の欲求を支えているのは、「安心感」なのかもしれない

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